マイセン人形の代表作品群「寓意~allegory」の中の四季に属する作品
有名な作品群ですが、その中から本来この世には存在しないはずだった大変珍しいモデル
「冬の寓意」
近日入荷いたします。
マイセン人形の代表作品群「寓意~allegory」の中の四季に属する作品 四季はケンドラーによる造作が有名ですが、後に新古典主義的様式の作品として次のマイスターモデラーであるMVアシエが制作に携わりました。 春、夏、秋と制作が進み、あと「冬」一作のみの1780年に同氏は突然マイセン磁器を去ってします。 MVアシエによる新古典主義様式の「四季」は未完の作品群として有名となり、三作しかないものの非常に出来の良い評価の高い作品となりました。 1782年、時のマイセン磁器を代表するモデラー、ヨハン・カール・シェーンハイトが未完であった「冬」の制作を手掛けます。 アシエの造形や様式を踏襲しつつも、シェーンハイト独自の造作で「四季」が同年に完成いたしました。 その出来栄えは大変素晴らしく、皮肉なことに先に四季を手掛けたアシエ作品よりも今回入荷作品、シェーンハイトの「冬の寓意」の方が後に評価が高くなってしまったという、大変面白いエピソードを持った作品です。
ミッシェル・ヴェクトール・アシエ Michel Vitor Acier(1736-1799)
造形家、マイセン磁器マイスターモデラー 1736年1月20日にヴェルサイユ(フランス)で生まれ1799年にドレスデンで亡くなる。 1764年8月1日から1780年12月までマイセンに雇用された。七年戦争(1756年~1763年)の後は、市民層の経済的発展と自由主義の前章時期でした。そこで新しい市民的価値をマイセン社にも取り入れようとパリから引き抜かれた人物。
1764年マイセンにに入社して、ケンドラーと並んで造形家として活躍する。
ケンドラー没(1775年)後、モデルマイスターとして後継者になる。新しい時代の好みのもの(新古典主義的なルイ16世様式の作風)を作り上げ、1780年に退社するまでに200体の人形や群像を作り上げた。
ヨハン・カール・ シェーンハイト Johann Carl Schönheit(1730-1805)
造形家、マイセン磁器モデラー
1730年2月、シェーンハイトはマイセン磁器の機械工の息子としてマイセンに生まれました。
父親の影響で造形技術を幼年から習得し、11歳の年齢でマイセン磁器に雇用される。
1745年から正式に造形師としてケンドラーのもとで制作活動の一端を担うこととなる。
1764年からは白磁造形のトップ技師となり、以降ケンドラーやアシエの時代において非常に重要な作品を世に排出いたしました。
1772年、後にシェーンハイトの代表作となる「五感の寓意」制作
1782年、Mythology 神話オリンポス12神をJüchtzerと共同制作
1787年、大作「決定的な選択」「二人の求婚者」制作
などなどです。
上記はほんの一例でマイセンを代表する名作を数多く制作しています。
ケンドラー死後以降アシエの時代も含み、影のトップモデラーとしてマイセンに君臨しました。
俗に言う「無冠の帝王」、トップモデラーの称号がなかったため謎多き造形師となり、それが要因して逆に近代では作品の流通量が少ない事もあり人気が高くなったようです。
晩年は病との戦いで1794年にマイセン磁器を引退。
引退以降もマイセンに居住し、同氏の最高技術を後世のモデラー達に伝えたと言われています。
1805年5月27日、生涯住み続けたマイセンにて死去。