マイセン磁器 1700年代を代表するモデラー
ヨハン・カール・ シェーンハイト(Johann Carl Schönheit 1730-1805)
1785年原型で同氏の代表作「Weinpresse~葡萄搾り」
誕生から230年経った現在でも特別制作において極々僅か制作され続けるマイセン磁器を代表するグループフィギュリンの逸品。
造形、絵付け、焼成…全てにおいてマイセン磁器最高技術が投入されております。
年間制作数制を厳しく制限されたうえ、世界各国のマイセン磁器正規代理店より予約の入った順にオーダーを受け付け、完成まで数年の歳月を待たされることもあるという、マイセン人形の中でも極めて入手困難な高額作品の部類に入ります。

マイセン磁器では古くから、「葡萄酒作り」の群像が作られてきました。
その全てはその時代を象徴するトップモデラーが手掛けています。
現在でもマイセン磁器を代表する高額かつ特別制作扱いの作品で年間制作数は1体程度と推測されます。
繊細な作り込みは圧巻の一言。
当時流行の色とりどりのズボンやスカート、帽子を身に着けた子供たちは磁器彫像全体に柔らかさや温かさを与え、葡萄の収穫を祝福しているモチーフです。
7人の子供たちで構成された群像(グループフィギュリン)で、造形は複雑かつ精巧を極めております。
子供たちの表情や所作などは優雅で温かみがあり、幸せ感のある群像です。
世界各国マイセン展などのイベントなどでは必ずと言って良いほど展示されるマイセン人形の代表作で、先日開催されていた国内のマイセン展でもメインブースで展示されておりました。
国内参考価格は3,888,000円
非常に希少性の高いマイセン人形の古典代表作品です。
ご期待くださいませ。
2/15 写真を更新いたしました。実際の作品です。
ヨハン・カール・ シェーンハイト(Johann Carl Schönheit 1730-1805)
1730年2月、シェーンハイトはマイセン磁器の機械工の息子としてマイセンに生まれました。
父親の影響で造形技術を幼年から習得し、11歳の年齢でマイセン磁器に雇用される。
1745年から正式に造形師としてケンドラーのもとで制作活動の一端を担うこととなる。
1764年からは白磁造形のトップ技師となり、以降ケンドラーやアシエの時代において非常に重要な作品を世に排出いたしました。
1772年、後にシェーンハイトの代表作となる「五感の寓意」制作
1782年、Mythology 神話オリンポス12神をJüchtzerと共同制作
1787年、大作「決定的な選択」「二人の求婚者」制作
など
上記はほんの一例でマイセンを代表する名作を数多く制作しています。
ケンドラー死後以降アシエの時代も含み、影のトップモデラーとしてマイセンに君臨しました。
俗に言う「無冠の帝王」、トップモデラーの称号がなかったため謎多き造形師となり、それが要因して逆に近代では作品の流通量が少ない事もあり人気が高くなったようです。
晩年は病との戦いで1794年にマイセン磁器を引退。
引退以降もマイセンに居住し、同氏の最高技術を後世のモデラー達に伝えたと言われています。
1805年5月27日、生涯住み続けたマイセンにて死去。