11月初旬に正に小さな名作、「山羊を連れた少年と少女」ヨハン・カール・シェーンハイト作 19世紀半ば古マイセンペアが入荷いたします。
※上段は実際の作品です。
下段白黒写真は「Meissen Collector's Catalogue」からの抜粋です。
謎多き伝説のモデラー、ヨハン・カール・シェーンハイト(Johann Carl Schönheit 1730-1805)による作品、原形は1785年です。
シェーンハイトはマイセン、特にロココ人形で数多くの名作を残しており、その特徴はズバリ「小さな名作」が多いこと。
五感の寓意がその代表例です。
※シェーンハイト特集記事を出しております。←クリック
マイセン人形の名作や高額作品は大きく、古く、複雑な造形で、一般的に誰が見ても高そうな作品と一目でわかるものが多いのですが、小さくても高額な名作も数多く存在いたします。
乞うご期待!
ヨハン・カール・ シェーンハイト(Johann Carl Schönheit 1730-1805)
1730年2月、シェーンハイトはマイセン磁器の機械工の息子としてマイセンに生まれました。
父親の影響で造形技術を幼年から習得し、11歳の年齢でマイセン磁器に雇用される。
1745年から正式に造形師としてケンドラーのもとで制作活動の一端を担うこととなる。
1764年からは白磁造形のトップ技師となり、以降ケンドラーやアシエの時代において非常に重要な作品を世に排出いたしました。
1772年、後にシェーンハイトの代表作となる「五感の寓意」制作
1782年、Mythology 神話オリンポス12神をJüchtzerと共同制作
1787年、大作「決定的な選択」「二人の求婚者」制作
などなどです。
上記はほんの一例でマイセンを代表する名作を数多く制作しています。
ケンドラー死後以降アシエの時代も含み、影のトップモデラーとしてマイセンに君臨しました。
俗に言う「無冠の帝王」、トップモデラーの称号がなかったため謎多き造形師となり、それが要因して逆に近代では作品の流通量が少ない事もあり人気が高くなったようです。
晩年は病との戦いで1794年にマイセン磁器を引退。
引退以降もマイセンに居住し、同氏の最高技術を後世のモデラー達に伝えたと言われています。
1805年5月27日、生涯住み続けたマイセンにて死去。