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近日入荷予定 マイセンテーブルウェア最高峰 ブリュール伯爵献上品 スワンサービス 大型6名総21点フルサービス 超高額

  • 執筆者の写真: soukenclub.com
    soukenclub.com
  • 2021年3月14日
  • 読了時間: 5分

更新日:2021年3月21日


マイセンテーブルウェア、実用できる食器の最高額帯に位置しマイセン磁器の中でも特別な位置づけの作品群。

タイトルのみで説明不要かと思います。

「スワンサービス 6名総21点フルサービス」

近日入荷いたします。

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オリジナルはハインリッヒ・フォン・ブリュール伯爵(1700~1763年)のためにつくられました。

このスワンサービスは1737~41年にマイセンの造型の基礎を築いたヨハン・ヨアヒム・ケンドラー、ヨハン・フリードリッヒ・エバーラインにより型が考案され、フォームの数は実に2000点以上、絵付けをヨハン・グレゴリウス・ヘロルトが行うことにより誕生した西洋芸術の歴史に名を刻んだ3人の合作によって生まれた作品群です。


スワンサービスは現在においてもマイセン磁器の中で特別な位置づけの存在です。

ドイツはもとより各国の晩餐会などでも広く利用され、今回入荷するフルサービス類はドイツマイセン磁器財団や国立マイセン博物館ツヴィンガー宮殿などにも永久所蔵されています。

大変高額ではございますが、コレクションされる方は一つの終着点とも言えます。

ご期待ください。

3/15 写真を追加いたしました。実際の作品です。

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ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(Johann Gregorius Hoeroldt 1696-1775)

1696年8月6日に旧東ドイツ南西部イエーナ(Jena)に生まれ、1775年6月26日にマイセンで亡くなる。 ヘロルトはヨーロッパで初のマイセン磁器製作に貢献した重要人物(ベドガー&ケンドラー)の一人です。 マイセンには1720年、不思議な縁でサミュエル・シュテルツエルに誘われてやってきます。 サミュエル・シュテルツェルはもともと、硬質磁器発明者ベトガーの助手であったため秘密保持者でした。 にもかかわらず、ウイーンのデュ・パキエの工房に高い報酬で誘われマイセンを逃亡した人物。 実際にはデュ・パキエの工房から約束の報酬はもらえず、再びマイセンにもどるのですが逃亡した自分をアウグスト強王が簡単に許してくれるはずがないと思い、工房で発掘した天才ヘロルトを連れて行けば許されるはずと目論んだのです。そしてこの作戦は大成功でした。 ヘロルトは初め、マイセンに芸術家として雇われ、絵付けした作品を買い取ってもらい報酬を受け取るという、フリーな立場で仕事をします。 当時、装飾芸術家の彼は、赤と青の絵付けに没頭した、と歴史書に残っています。 天才装飾画家ヘロルトによって絵付けされた商品は人気を博します。 その後1724年に宮廷画家に任命されます。 1731年マイセン製作所に完全雇用され、絵付け部門の指導者になり磁器製作秘密保持者にもなります。 マイセン製作所にとって磁器の釉薬の表面に使うことが出来る絵の具を幅広く発展させた功績は非常に重要でした。 この絵の具は今日でも製造し使用されています。 また絵付けのモチーフでよく知られているのは人物と船着場でのヨーロッパの景色のシーンです。またマイセン製作所に新しく革命的なデザインスタイルを構築したシノワズリー(中国趣味)も有名です。 彼が描いたスケッチは、後にシノワズリー柄に使用されますが、実に場面をとらえたすばらしい図面でした。(例えば中国人の日々の生活、動物植物など)これらの図面の面白い点の一つはそれらがアジアの世界を一度もみたことのない18世紀ヨーロッパ人の見解から作られたという点です。 多くのこれらの作品は古写本としてコレクションされました。 他には銅版画のエッチングに使用され代々芸術家に伝えられました。 それらは未来まで、非常に価値あるものとして役立っています。

ヨハン・フリードリッヒ・エバーライン(Johann Friedrich Eberlein 1695-1749)

マイセン創成期以前より創作活動をする伝説的なモデラーでバロック様式の神様と言われています。しかし、その存在は謎が多く同氏の生い立ちや経歴などは殆どわかっていません。

代表作は全て美術館級で当作品のほかに、パコダ人形など。さらにハインリッヒ・ ブリュール伯爵(1700-1763)への献上品としてマイセンテーブルウェアの代表作「スワンサービス」を5年の歳月をかけ、約2000ピースを盟友ケンドラーと作り上げた伝説は有名です。

ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(Johann joachim Kaendler 1706-1775)

彫塑家 マイセン磁器マイスターモデラー (マイセン製作所には1731年から1775年まで従事) 宮廷彫刻家のベンジャミン・トマエ氏の弟子となり王家の宝庫である緑天井(The Green Vaults)の彫刻制作に6年間携わります。 この時の仕事ぶりが評判されて、1730年には宮廷彫刻家の称号を預かりました。 翌年の1731年アウグスト強王のご指名でマイセン製作所のモデラー(原型製作者)として採用されます。 強王の夢の磁器の城、日本宮に飾る為に、短期間で多様な動物彫塑を作りました。 彼の彫塑は個性的でダイナミックでありながら優美で自然な美しさを持っており、天才的な才能を十分に発揮し、アウグスト強王にも高く評価されます。 しかし、彼の栄光も長くは続かず、最強のスポンサーであったアウグスト強王死後(1733年)は息子の3世には理解を得られず、得意な大型彫塑で等身大の王の騎士像製作を断念します。 強王死後のスポンサーは裕福な貴族。彼らからの注文で、様々なその新しいサービスセットの原型を作ります。 バロック様式、ロココ様式にも精通していた彼のサービスセットは貴族達からも賞賛を浴びます。

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